明治19年(1886年)、知多一円の酒蔵が集まり「知多郡豊醸組」がつくられました。当時、灘の酒が圧倒的に市場を独占しており、知多では酒蔵の数、醸造量とも激減の一途へ。灘の酒に敗色濃厚となった知多の酒が、先端技術と品質優位で対抗。絵巻物は灘に挑む知多の姿を今に伝えます。
半田酒造協同組合所蔵、題・作者・伝承不明、明治時代作